しがらみのない新作映画評

某映画ライター。主に公開前の新作映画について書きます。ネタバレなし。★の数は個人的な評価です。

幸福な7年間『長いお別れ』

中野量太監督の前作『湯を沸かすほどの熱い愛』が泣かせる話だったので、認知症をテーマにした本作なんてボロ泣きに違いないと身構えていたら、いい意味で予想を裏切られた。

舞台はある平凡な一家。娘2人は既に自立し、老夫婦が2人で静かに暮らしている。しかし、お父さんが認知症になり、少しずつ言動がおかしくなっていく。

長女は結婚してアメリカに渡り、専業主婦として暮らしている。一方、次女は定職についているわけではないが、飲食に関わる仕事をやりたいらしく、自分の道を模索しているところだ。2人とも現状に満足しているわけではないものの、それなりに穏やかに自分の人生を生きている。

お父さんとお母さんの仲だって悪くない。というか、かなり良い方だと思う。お父さんは最初から、つまり映画が始まった時点から認知症を発症していて、以前の姿は(おそらく意図的に)描かれないのだが、かつては学校の先生をしており、多少不器用ながらも優しい父親だったらしい。お母さんは、そんなお父さんのことがずっと好きなようだ。

お父さんが認知症になったとはいえ、夫婦の生活は途端に変わるわけではない。娘2人も最初は驚いたものの、別に今すぐ何かが起こるわけでもないとわかり、自分たちの生活に戻っていく。しかし、変化は着実に、歩くような速度でゆっくりと進んでいく。

甲斐甲斐しくお父さんの世話をするお母さんの姿に悲壮感は見て取れない。とはいえ、当然楽なはずはない。苦労をめったに表に出さないお母さんの強さには胸を打たれる。お父さんがスーパーで万引きをしてしまい、お母さんがうなだれて謝る姿は観ていて辛いものがあったけれど…。

さて、この物語は意外なほどに長い。お父さんが認知症を発症して、7年間の時が経過する。その間、家族の中でも、世の中でも、いろいろな事件や出来事が起こる。

例えば、2011年には東日本大震災が起こった。しかし、物語は特定の時代や出来事にフォーカスせず、淡々と時を数えていく。ことさらドラマティックに盛り上げることはしないし、お涙頂戴のわかりやすいクライマックスもない。

それは、お父さんと一緒に過ごした最後の7年間、そのすべてが等しく、大切な時間だからだ。抑制が効いていて、本当に描き方が上手いなあと思う。

それにしても、「長いお別れ」とはどういう意味なのだろうと、映画を観ながらずっと考えていた。その意味が理解できたとき、いろいろなものがすっと腑に落ちた。

この7年間は、ある意味では幸福な時間でもあったのだと、「長いお別れ」という言葉ひとつによって救われる心地がした。

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