しがらみのない新作映画評

某映画ライター。主に公開前の新作映画について書きます。ネタバレなし。★の数は個人的な評価です。

圧巻の映像表現『海獣の子供』

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どう見てもアニメ向きじゃないはずの五十嵐大介の繊細な描写が、違和感なくアニメーションになっていることにまず驚く。その上、映像表現がすさまじい。風景や光、水、生き物たちの生々しさに加えて、後半の怒涛の展開は超アシッドだ。アニメーション制作は『鉄コン筋クリート』のSTUDIO4℃。こりゃすごい。

海獣の子供』は五十嵐大介の代表作のひとつ。ある夏、中学生の琉花は、ジュゴンに育てられたという兄弟と出会い、生命の神秘に触れることになる。

弟の“海”は純真無垢、兄の“空”は人の心を見透かしているような怖さがある。2人とも長く海で生活していたため、陸上生活に適応しきれていない。特に兄の“空”はその傾向が顕著で、徐々に身体が弱っていく。しかし人間の科学では、“空”の身体の中で起きていることを把握しきれない。

光る隕石が海上に落ち、海の生き物たちは大移動を始める。“ソング”が生き物たちを導いている。何かとてつもないことが起きている。しかし、それが何なのか、人間たちにはわからない。“海”と“空”を除いては。

原作を読んだ人ならご存知の通り、後半から物語は怒涛の展開を始め、理解が追いつかなくなっていく。身体が光る生き物たち、古い伝承、子守唄、“ゲスト”…。意味深で、意味不明なジャーゴンの応酬。そして加速していくサイケデリックな映像表現。

なんだかすごいものを観てしまった。

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何も始まってすらいない『イングランド・イズ・マイン モリッシー,はじまりの物語』

ザ・スミスのフロントマン、モリッシーの若き日を描いた伝記映画。

有名ミュージシャンの伝記映画というと、つい『ボヘミアン・ラプソディ』の二番煎じかと邪推してしまうが、そんなことはない。その2作品はまるで方向性が違う。『ボヘミアン・ラプソディ』は猛スピードでスターダムを駆け上がっていく話だったが、『イングランド・イズ・マイン〜(省略)』は、スターダム前夜の話。ザ・スミスは生まれてもいないし、モリッシーはひたすらくすぶっている。

だから『ボヘミアン・ラプソディ』のような派手なエンターテイメントを期待していくと肩透かしを食らうことになる。というか、モリッシーのキャラクターを多少なりとも知っていれば、万人受けのエンターテイメントになるはずがないと、容易に想像できる。

主人公のスティーブン・モリッシーは、いろいろな意味でダメな青年だった。マンチェスターという街や地元のバンドを批評した文章を音楽誌に投書するも、文章が毒舌で嫌味なレトリックに溢れすぎていて、まるで相手にされない。

では自分で音楽をやるのかというと、内向的すぎてバンドも組めない。女友達に無理やりギタリストを紹介されても、「靴がダサいからダメ」と難癖をつけて逃げ出す。

自分からは一切行動しない。そのくせ文句ばかり言う。役所の文書整理の仕事に就いたかと思えば、遅刻ばかりだし、まったく仕事もできない。

とにかくあらゆる面でダメ。観ていてイライラする。そろそろ立ち上がるか?と期待しても、何度も裏切られる。この映画はある意味、煮え切らないスティーブンにひたすら耐え続ける映画だ。

念のためにもう一度言っておくと、この映画はモリッシー誕生前夜を描いたものである。熱狂などまるで存在しない。弱々しい青年が、世界から無視され続けても、それでも心の中の炎を静かに燃やし続ける。かすかな灯りに、じっと目と耳を凝らす。そんな映画だ。

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幸福な7年間『長いお別れ』

中野量太監督の前作『湯を沸かすほどの熱い愛』が泣かせる話だったので、認知症をテーマにした本作なんてボロ泣きに違いないと身構えていたら、いい意味で予想を裏切られた。

舞台はある平凡な一家。娘2人は既に自立し、老夫婦が2人で静かに暮らしている。しかし、お父さんが認知症になり、少しずつ言動がおかしくなっていく。

長女は結婚してアメリカに渡り、専業主婦として暮らしている。一方、次女は定職についているわけではないが、飲食に関わる仕事をやりたいらしく、自分の道を模索しているところだ。2人とも現状に満足しているわけではないものの、それなりに穏やかに自分の人生を生きている。

お父さんとお母さんの仲だって悪くない。というか、かなり良い方だと思う。お父さんは最初から、つまり映画が始まった時点から認知症を発症していて、以前の姿は(おそらく意図的に)描かれないのだが、かつては学校の先生をしており、多少不器用ながらも優しい父親だったらしい。お母さんは、そんなお父さんのことがずっと好きなようだ。

お父さんが認知症になったとはいえ、夫婦の生活は途端に変わるわけではない。娘2人も最初は驚いたものの、別に今すぐ何かが起こるわけでもないとわかり、自分たちの生活に戻っていく。しかし、変化は着実に、歩くような速度でゆっくりと進んでいく。

甲斐甲斐しくお父さんの世話をするお母さんの姿に悲壮感は見て取れない。とはいえ、当然楽なはずはない。苦労をめったに表に出さないお母さんの強さには胸を打たれる。お父さんがスーパーで万引きをしてしまい、お母さんがうなだれて謝る姿は観ていて辛いものがあったけれど…。

さて、この物語は意外なほどに長い。お父さんが認知症を発症して、7年間の時が経過する。その間、家族の中でも、世の中でも、いろいろな事件や出来事が起こる。

例えば、2011年には東日本大震災が起こった。しかし、物語は特定の時代や出来事にフォーカスせず、淡々と時を数えていく。ことさらドラマティックに盛り上げることはしないし、お涙頂戴のわかりやすいクライマックスもない。

それは、お父さんと一緒に過ごした最後の7年間、そのすべてが等しく、大切な時間だからだ。抑制が効いていて、本当に描き方が上手いなあと思う。

それにしても、「長いお別れ」とはどういう意味なのだろうと、映画を観ながらずっと考えていた。その意味が理解できたとき、いろいろなものがすっと腑に落ちた。

この7年間は、ある意味では幸福な時間でもあったのだと、「長いお別れ」という言葉ひとつによって救われる心地がした。

nagaiowakare.asmik-ace.co.jp

カルト、不条理、グロテスク『バイオレンス・ボイジャー』

宇治茶監督がたったひとりで作り上げた執念の作品(声優以外)。

宇治茶というのは、2013年に『燃える仏像人間』という怪奇アニメをつくったアニメーション作家だ。アニメーションと書いたが、実は正確には「劇メーション(劇画+アニメーション)」というジャンルらしい。造語かと思いきや、1976年のテレビアニメ『妖怪伝 猫目小僧』で使われたマイナーな手法で、それを現代に復活させたのが宇治茶なのだ。

宇治茶の絵はとても上手いが、なんだか不穏で気持ちが悪い。そして予想通り、ストーリーはさらに気味が悪い。

とある山奥の村で、ボビーという金髪碧眼の主人公が、あっくんという友だちとともに、「バイオレンス・ボイジャー」という謎のアミューズメント施設に潜入する。おそらく舞台は日本。ボビーの生い立ちなどは一切不明だが、細かいことは気にしても無駄だ。

この「バイオレンス・ボイジャー」はアミューズメント施設のふりをして、迷い込んだ子どもたちを捕獲し、謎の怪物のエサにする恐怖の場所だったのだ。ボビーとあっくんは、ほかの子どもたちを助けるために立ち上がる、という話。

ホラーという触れ込みになっているが、「怖い」というよりも、やはり「気持ち悪い」というのが率直な感想。ストーリーも理不尽だ。観ながらなんとなくフランツ・カフカの「変身」を思い出した。仮に宇治茶が「変身」を劇メーション化したらハマりそうだ。つまり、雰囲気としてはそんな感じ。

観る人をかなり選ぶことは間違いない。だけど好きな人は、とことん好きな世界ではないだろうか。

violencevoyager.com

現実は映画ほど甘くない『アメリカン・アニマルズ』

はたして、映画を真似した犯罪は成功するのか。

当然、『レザボア・ドッグス』や『オーシャンズ11』のようにスマートにいくはずがない。個人的にも、犯罪をあまりカッコよく描くのはどうなのかなと、以前から思っていた。

現実とフィクションを混同してしまうのは、ある種、若者らしい性質ではある。しかし4人の大学生にとって、その代償は大きすぎるものだった。

アメリカン・アニマルズ』は、犯罪映画を参考にした実際の事件を映画にした、という逆輸入みたいな構造をした犯罪映画だ。モデルになったのは、2004年にケンタッキー州の大学で起こった、1200万ドルのビンテージ本の強奪実験。犯行を企てたのは4人の大学生だが、別に生活に困っていたわけではない。単に刺激がほしかっただけという、しょうもない理由だ。だから彼らに同情の余地なんてまるでない。

大学生たちが仲間を見つけ、犯罪の計画を練り、準備を進めていく。その描かれ方は、正当な犯罪映画のそれだ。彼らの妄想の中では、スタイリッシュで完璧な犯罪計画ができあがっている。だから観ているこちら側も犯行が上手くいくように感じてしまうのだが、実際にやっていることといえば、大学のPCで犯罪のやり方を検索したりと、思いっきり素人だ。

ユニークな点としては、ところどころで事件の大学生たち本人が登場して、当時を振り返っていく。視点が違えば見える景色も違う。証言者によって微妙に認識は違っている。何が真実なのか。この物語はどこまで信じていいのか。映画に向き合う、こちら側の姿勢も揺さぶられる。

ところで作中の音楽が素晴らしく、レナード・コーエンの「Who By  Fire」が特に秀逸。「火に焼かれる者」「試練を受ける者」といった意味だろうか。示唆的だ。

youtu.be

さて、最初の問いに戻る。映画を真似した犯罪は成功するのか。もちろん頭の中でイメージしていたとおりにいくはずはないのだけど、彼らはどのような“現実”と向き合うことになるのだろうか。 

www.phantom-film.com